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横浜地方裁判所 昭和59年(ワ)716号 判決

原告

松本猪之松

原告

大宮逸雄

原告

南湖一男

右原告ら三名訴訟代理人弁護士

高橋利明

田岡浩之

被告

株式会社第一勧業銀行

右代表者代表取締役

羽倉信也

右訴訟代理人弁護士

荒木孝壬

福屋登

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告松本猪之松と被告との間で、原告松本猪之松が別紙物件目録一記載の土地につき、昭和五八年一〇月二八日から期間二〇年の借地権を有することを確認する。

2  原告大宮逸雄と被告との間で、原告大宮逸雄が別紙物件目録二記載の土地につき、昭和五八年一〇月二五日から期間二〇年の借地権を有することを確認する。

3  原告南湖一男と被告との間で、原告南湖一男が別紙物件目録三記載の土地につき、昭和五八年一二月三〇日から期間二〇年の借地権を有することを確認する。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  係争土地の所有関係

別紙物件目録一ないし三記載の土地(以下個々に「第一土地」「第二土地」「第三土地」といい、総称して「本件土地」という。)は、もと故佐藤治右ヱ門(以下「故佐藤」という。)の所有であつたところ、昭和一四年一二月二日、株式会社神奈川県農工銀行(以下「農工銀行」という。)が競落により所有権を取得し、その後いずれも会社合併により株式会社日本勧業銀行次いで被告がその所有権を取得し現在に至つている。

2  原告らの借地権

(一) 原告松本

(1) 故松本徳太郎は、明治年間に第一土地をその所有者であつた故佐藤から建物所有目的で賃借し、建物を建築所有していたが、大正一二年の関東大震災で焼失したため、大正末頃二棟の建物を建築所有し登記したうえ、うち一棟に自ら居住し、他の一棟を貸家として第三者に賃貸していた。

(2) 松本徳太郎は昭和六年に死亡し、原告松本が家督相続し、前記二棟の建物及びその敷地である第一土地の借地権を相続した。

(二) 原告大宮

(1) 故大宮代五郎は、大正六年頃第二土地をその所有者であつた故佐藤から建物所有目的で賃借し、建物を建築所有し登記してこれに居住していた。

(2) 大宮代五郎は昭和二五年に死亡し、本件借地権は遺産分割協議の結果原告大宮が相続した。

(三) 原告南湖

(1) 故南湖要は、大正年間に第三土地をその所有者であつた故佐藤から建物所有目的で賃借し、五棟の建物を建築所有し登記したうえ、うち一棟に居住し、その余の四棟を貸家として第三者に賃貸していた。

(2) 南湖要は昭和一五年二月四日に死亡し、原告南湖が家督相続し、右各建物及びその敷地である第三土地の借地権を相続した。

3  原告らと被告との賃貸借関係

(一) 農工銀行は、前記昭和一四年一二月の本件土地の競落により、右競落当時それぞれ土地の賃借人であつた原告松本、同大宮の先代代五郎及び同南湖の先代要に対する賃貸人の地位を故佐藤から承継し、更に右賃貸人の地位は、前記会社合併により農工銀行に承継された。

(二) また、農工銀行による本件土地の競落後、原告松本、同南湖の先代要及び同大宮の先代代五郎は、農工銀行との間で、従前の同人らと故佐藤間の契約内容と同一条件で、改めてそれぞれ建物所有を目的とする土地賃貸借契約を締結した。

4  罹災及び接収

原告及び原告先代らが所有していた本件土地上の建物はいずれも昭和二〇年五月二九日のアメリカ合衆国空軍による横浜人空襲で罹災焼失し、さらに昭和二一年から同二二年にかけてアメリカ合衆国軍隊に接収された。

5  接収地の返還

本件土地は、アメリカ合衆国軍隊により同軍関係者の住宅等として使用されていたが、昭和五二年一二月日米合同委員会で返還の合意がなされ、同五七年三月三一日、米軍から防衛施設庁に対し返還され、同五八年一〇月一三日、接収不動産に関する借地借家臨時処理法(以下「接収不動産法」という。)二四条一項により接収の解除の公告がなされた。

6  賃借の申出及び拒絶

そこで接収不動産法三条一項にもとづき、原告松本は昭和五八年一〇月二七日、同大宮は同年一〇月二四日、そして同南湖は同年一二月二九日、それぞれ被告に対し賃借の申出をなしたが、被告は、右各申出をいずれも拒絶した。

7  結論

よつて、原告らは被告に対し、借地権にもとづき請求の趣旨記載のとおり第一ないし第三土地についての借地権の確認を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実について

認める。

2  同2の事実について

(一)は、農工銀行が第一土地を競落した昭和一四年一二月当時、故佐藤に対し、原告松本が建物所有目的の賃借権を有し、同地上に登記された建物一棟を所有していたことを認め、他の一棟の建物が登記されていたことを否認し、その余は不知。原告松本が第一土地上に有していた建物のうち登記されていたものは、木造亜鉛葺平家建建物(建坪二四坪七合五勺)一棟のみで、他に登記された建物はなかつた。

(二)は、(1)のうち右農工銀行による第二土地の競落当時、故佐藤に対し、原告大宮の先代代五郎が建物所有目的の賃借権を有し、同地上に建物を所有していたことを認め、右建物が登記されていたことを否認し、その余は不知。(2)は不知。

(三)は、(1)のうち右農工銀行による第三土地競落当時、故佐藤に対し、原告南湖の先代要が建物所有目的の賃借権を有し、同地上に建物を所有していたこと及びそのうち第三(一)土地上の建物が登記されていたことを認め、第三(二)及び(三)土地上にあつた建物が登記されていたことを否認し、その余は不知。原告南湖の先代要が所有していた建物のうち登記されていたものは第三(一)土地上にあつた木造亜鉛葺平家建建物(建坪一一坪二合五勺)一棟のみで、他に登記された建物はなかつた。(2)は不知。

3  同3の事実について

否認する。

4  同4の事実について

本件土地上に存した建物が米軍の空襲により罹災焼失したこと及び右土地が昭和二一年一〇月一日、米軍に接収されたことを認め、その余の事実は不知。

5  同5の事実について

接収地が返還されたことを認める。

6  同6の事実について

認める。

三  抗弁

1  借地権についての対抗要件の欠缺

(一) 本件第一土地、第二土地及び第三(一)土地(本牧町四丁目八四〇番四の土地)上に、原告松本の先代徳太郎は、木造亜鉛葺平家建建物(建坪二四坪七合五勺)を所有し、昭和二年六月二〇日、保存登記を経由し、また、原告南湖の先代要は、木造亜鉛葺平家建建物(建坪一一坪二合五勺)を所有し、昭和五年五月二〇日、保存登記を経由していたが、右各建物の保存登記に先行して、右各土地につき農工銀行は、農工銀行の前主故佐藤との間で大正一三年一二月二七日、抵当権設定登記を経由していた。

(二) 原告ら先代が本件土地上に建築所有していた建物は、第一土地、第二土地及び第三(一)土地上にあつた右二棟の建物のみであり、第三(二)土地及び(三)土地上には登記された建物は存在しなかつた。

(三) したがつて、原告らの右各賃借権は、その目的である建物が未登記もしくは敷地につき先行する抵当権設定登記が存したため、そもそも建物保護法による保護を受けず、また、接収当時において第三者に対抗することができないものなので、いずれにしても原告らは接収不動産法三条一項にもとづいて被告に対して賃借権を主張することはできない。

2  賃借申出拒絶の正当事由

(一) 本件土地を含む周辺地区八八万二〇〇〇平方メートルについては、横浜市長が昭和五三年一〇月施行区域を決定し、同五七年一月、「横浜国際港都建設事業新本牧地区土地区画整理事業」の事業認可を得、現在区画整理事業を実施中であり、換地計画案の縦覧中である。しかも、右換地計画によれば、本件土地の換地予定地は右事業地の中央に位置し、同所附近は商業地区防災地区と指定されている。

(二) このため被告は、昭和五八年五月一四日、大蔵省の店舗行政に従い本件土地の換地予定地に銀行店舗開設の申請をなしたところ、同年六年一五日、その内示を受けたので、本件土地の換地予定地につき、換地処分確定後直ちに支店を開設すべく準備中である。

(三) そして本件土地の換地予定地附近は、右事業計画完成の暁には高層ビルが建ち並ぶオフィス街となり昭和二〇年頃の罹災時とは生活環境を著しく異にすることは明白で、原告らが右計画に反し、各土地を住居として使用することは適切でなく、被告が前記目的に従つてこれを使用することに正当な理由がある。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1について

原告ないし原告ら先代は、前記のとおり、いずれも本件土地を農工銀行が競落した後改めて同行との間で土地の賃貸借契約を締結しているから、原告らの建物の保存登記と、その敷地である本件各土地に対する被告の抵当権設定登記の前後関係は問題となる余地がない。

2  同2について

(一) 正当事由の存在を争う。

被告主張の横浜市の都市計画は、関係各土地の全部につき高層商業ビルを建てるというものではなく、低層住宅地区も存するのであつて、単に被告が商業地域への換地を希望しているにすぎない。また、原告らの借地権部分のみ低層住宅地区へ換地することは技術上困難ではないし、代替地の斡旋や補償によつて都市計画の障害を回避することもできる。更に、仮に原告らの借地権設定を認めても、被告にはなお相当な面積の土地は残るのであるから、被告の支店開設が不可能となるわけではない。

(二) そもそも接収不動産法は、接収によつて経済的損失を被つた借地人の借地権保護を第一義とすべきものであり、今日においては同法の施行時(昭和三五年)に比し経済階層差・都市部の地価高騰に鑑み、借地人保護は一層重要となつているところ、原告らには次のとおり本件土地使用の必要がある。

(1) 原告松本

原告松本夫婦の住所地の土地面積三六・九〇坪のうち原告夫婦が使用しているのは約一八坪にすぎず、また、右使用地上の原告松本所有の建物も一階三三平方メートル、二階二八・九二平方メートルと狭く、高齢な原告夫婦が嫁の家族と同居するためには第一土地に住居を構えるほかに方法がない。また、現在の建物は老朽化しているうえに日当りも悪い。

(2) 原告大宮

原告大宮は、住所地に原告夫婦と娘の三人で居住しているが、同地上の建物は一階五五・二八平方メートル、二階一三・二四平方メートルと手狭なうえ老朽化している。原告夫婦の老後のため長男一家と同居する必要があるが、現在の建物では不可能である。

(3) 原告南湖

原告南湖の長男の医院建設のため第三土地の使用が必要であるが、現在の建物が老朽化しているうえに日当りが悪いのでこれを酒店の店舗専用にして第三土地上に居住する必要がある。

第三  証拠〈省略〉

理由

一本件土地の所有関係について

請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二原告らの借地権について

1  請求原因2のうち農工銀行が本件土地を競落した当時、故佐藤から、原告松本は第一土地を、原告大宮の先代代五郎は第二土地を、原告南湖の先代要は第三土地を建物所有目的でそれぞれ賃借していたこと、同人らは同地上にそれぞれ建物を所有していたが、このうちには登記された建物もあつたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によると、右登記された建物としては、第一土地上の原告松本所有の木造亜鉛葺平家建建物(建坪二四坪七合五勺)及び第三(一)土地上の原告南湖の先代要所有の木造亜鉛葺平家建建物(建坪一一坪二合五勺)があつたことが認められる。

原告らは、本件土地上には、右競落当時以降、右登記された建物以外の建物についても登記が経由されていた旨主張するけれどもこれを認めるに足る的確な証拠はない。

そして、抗弁1(一)の事実は原告らにおいて明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。

そうすると、原告または原告先代らの故佐藤に対する本件土地賃借権は、故佐藤から土地所有権の譲渡を受けた農工銀行に対しては、建物登記の有無ないし登記の優劣の観点からみれば、被告主張のとおりその対抗力を肯定し得ない道理であることは明らかである。

〈証拠〉によれば、(一)原告松本関係については、農工銀行の前記競落後の昭和一五年ころから農工銀行の係員が毎月地代を徴収に来るようになり、その支払いは原告松本が行い領収証を受取つていたこと、農工銀行から第一土地の立退き要求をされたことはなかつたこと、昭和二〇年五月の横浜大空襲による罹災後、延滞地代を農工銀行の手代の田口某に支払つて、同人から簡易住宅建築に必要な地代の領収証をもらつたことがあること、(二)原告大宮関係については、原告大宮の両親代五郎夫婦が農工銀行に第二土地の地代を払つていたが、戦時中は原告大宮と長兄勇が地代を出捐し、農工銀行の係員が集金に訪れていたこと、また(三)原告南湖関係については、第三土地について地主が故佐藤から農工銀行にかわると、毎月農工銀行の係員が地代を徴収に来るようになつたこと、原告南湖の先代要は昭和一五年二月四日死亡し、同原告が家督相続したが、同人死亡後は、同人経営の酒屋の免許を引き継いだのは原告南湖の母で同女が地代の支払いを行つていたことが、それぞれ認められ、右各認定に反する証人青柳一彦の供述部分は、前掲各証拠に照らしてにわかに措信しがたく、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

右各認定事実によれば、農工銀行において従前の賃貸借関係を承認して、賃貸人の地位を承継したものと認めることができる。したがつて、原告または原告先代らの右各賃借権は、そもそも農工銀行に対抗しうる賃借権であるというべきであり、この点の被告の主張は理由がない。

2  なお、被告は、後記本件土地の接収時には原告または原告先代らの右各賃借権は第三者に対抗しえないものであつた旨主張するのでここでこの点について検討する。

借地である本件土地上に存した原告または原告先代ら所有の各建物が昭和二〇年五月二九日の横浜大空襲により罹災焼失し、その後米軍に接収されたことは後記のとおりであり、〈証拠〉によれば、罹災後接収時までの間に本件土地上には原告または原告先代らによつて後記のとおりバラック様の建物が建てられたこと(従つて勿論登記されてはいない。)が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

ところで、接収不動産法三条五項は、「借地権者の借地権が接収された当時において第三者に対抗することのできない借地権(中略)であるときは、これらの規定(同法二条一項、二項)は適用しない。」と規定しており、確かに本件土地上には本件接収時にはバラック程度の建物しか存在しなかった(登記も経由されていない。)のであるから、建物保護法一条による対抗力を認める余地はないが、本件のような罹災地については、罹災都市借地借家臨時処理法一〇条により、その借地権者は登記した建物がなくても昭和二六年六月三〇日までに借地の所有権を取得した第三者に対抗しうるのであり、本件接収は後記のとおり昭和二六年六月三〇日より以前になされているから本件における借地権者は登記した建物がなくても接収時には第三者に対する対抗要件を具備しており、したがつて、接収不動産法三条一項の適用があるから、この点に関する被告の主張は採用できない。

3  したがつて、昭和二一年の本件土地の接収当時、本件土地につき原告及び原告先代からは被告に対して、被告に対抗し得るそれぞれ建物所有を目的とした賃借権を有していたものというべきである。

三罹災及び接収について

請求原因4のうち本件土地上の原告または原告先代から所有建物が罹災焼失したこと、右土地が接収されたことは当事者間に争いがなく、右接収が昭和二一年から同二二年にかけて行われたことは〈証拠〉によりこれを認めることができ、その余は被告の明らかに争わないところであるから自白したものとみなす。

四接収地の返還について

請求原因5の事実のうち、本件土地が米軍から返還されたことについては当事者間に争いがなく、その余は被告の明らかに争わないところであるから自白したものとみなす。

五賃借の申出及び拒絶について

請求原因6の事実は当事者間に争いがない。

なお、原告大宮関係については、〈証拠〉によれば、原告大宮の先代父代五郎は昭和二五年一二月五日死亡したが、原告大宮と同人を除くその余の相続人及び代襲相続人間において、いずれも第二土地につき、接収不動産法にもとづく土地所有者に対する賃借権設定申出権を原告大宮が単独で相続する旨の遺産分割協議が成立していることを認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

また、原告南湖関係については、原告南湖の先代父要が、農工銀行による第三土地競落後の昭和一五年二月四日死亡し、同原告が家督相続したことは前記のとおりである。

六賃借申出拒絶の正当事由について

1  〈証拠〉を総合すれば、以下の事実を認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(一)  原告松本一家は、第一土地上の建物が昭和二〇年五月二九日の横浜大空襲により焼失したので、その焼跡地にバラック・簡易住宅を建てて居住していたが、昭和二一年と同二二年の二度に亘るアメリカ合衆国軍隊による土地接収により、やむなく現住所地に転居したもので、現住所地は当初借地であつたがその後同借地を買い取つた。右土地の面積は一二一・九八平方メートル(三六・九〇坪)あり、道路側の半分は同原告の甥松本英雄が使用し、同原告はその余の約一八坪に同原告所有の建物を建ててこれを使用している。右建物の間取りは六畳二間、四畳半間、三畳間、応接間であるが、右建物は道路の反対側に位置しているため日当りが悪く、また、同原告夫婦は年金生活を送つているが、高齢(同原告八二歳、妻シズ八四歳)のため、第一土地を借地して長男(昭和四七年死亡)の嫁や孫二人と同居する希望を持つている。

(二)  原告大宮は、横浜大空襲当時第二土地上の建物に弟の七五三雄と二人で居住(両親は新潟に疎開し、他の兄弟は独立して別居したりあるいは兵役に服していた。)していたが、右大空襲により同土地上の建物を焼失したためその跡地に約五坪のバラックを建てて居住していた。同原告は結婚後間もなく終戦を迎え、父と七五三雄、妻の四人で右バラックに居住していたところ米軍の接収に遭い、更にその転居先も接収され、結局、現住所地に一一三・九七平方メートル(約三四坪)を借地して転居し、昭和三三年頃現在の建物を建築し、その後昭和四三年頃右借地を買い受けた。同原告所有の建物の間取りは一階が四畳半二間、六畳、台所、トイレ、浴室、二階が六畳一間であつて、そこに同原告夫婦と娘の三人で暮らしているが、同建物は手狭で老朽化している。同原告は六九歳であり、同原告夫婦の老後の生活安定のため、横浜市戸塚区港南台のマンションに住む長男一家と同居するため、第二土地の借地を希望している。

(三)  原告南湖一家(母、姉、同原告)は第三土地上の建物において酒屋を営んでいたもので、更に貸家もしていたが、前記横浜大空襲により全ての建物が焼失し、その跡地にバラックを建てて居住していたところを米軍の接収に遭い、やむなく現住所地に一六四・五六平方メートル(四九・七八坪)を借地し、同地上にバラックを建てて酒屋を始め、その後昭和三二年に右借地を買い取り、同地上に現在二棟(木造平家建、木造二階建)の建物を所有し、右二階建建物において酒屋を経営し、家族四人(同原告夫婦及び子供二人、母は昭和五五年八月に死亡)で居住しているが、現建物を酒屋の店舗専用にし、第三土地上に建物を建てて居住するかまたは、同地上に現在医学生の長男の医院を開設する希望を持つている。

(四)  ところが、原告らが転居を希望している本件土地及びその附近一帯八八万二〇〇〇平方メートルについては、横浜国際港都建設事業新本牧地区土地区画整理事業(施行者横浜市長)の施行区域内にあつて、各土地所有者の土地利用の意向をも容れて計画が立案され、これに沿つてそのための換地計画が現に実施されようとしており、右換地計画によれば、被告には本件土地ほかの従前地に対し、センター地区(商業地区、オフィス街)において約三〇〇坪の仮換地の指定が早晩予定されている。被告は、昭和五八年五月大蔵省の店舗行政に従い本件土地に銀行店舗を開設するための申請を行い、同年六月その内示を経て、市の仮換地指定を受ける態勢を整えるに至つている。

2 ところで、接収不動産法は、借地についていえば、旧連合國占領軍等による土地の接収により、接収当時当該土地に存した借地権が接収中に消滅した場合、接収解除後において、接収当時の当該土地の賃借権者に旧借地の範囲につき、借地権を優先的に設定することを目的とするものである。そして、同法三条四項所定の、土地所有者が借地人からの正当な土地賃借申出に対し、これを拒絶しうる「正当事由」の有無は、土地所有者及び賃借申出人がそれぞれその土地の使用を必要とする程度如何は勿論のこと、双方の側に存するその他諸般の事情を総合して判断すべきものではあるが、そもそも右は通常の借地関係において、現に存する借地権につき地主から借地人に対し当該借地の返還を認める場合の「正当事由」(借地法四条等)の有無を判断する場合とは自ずからその視点を異にし、借地関係の当事者双方に存する事情の比較衡量においても趣きを少しく異にするものというべきである。しかして具体的には、同法が戦後復興を目的とする罹災都市借地借家臨時処理法(昭和二一年八月二七日法律一三号)による罹災地の借地人の保護との権衡上、接収地の旧借地人を保護するため制定されたものであり、そこには戦後同法の施行当時の劣悪な住宅事情下における接収者の住居等の安定確保と接収解除地の復興促進の要請があるが、本件は同法施行から約三〇年近くも経過した後に接収解除がなされ、しかも、現在では本件土地の存する横浜市周辺の住宅事情は同法施行当時では予想できなかつた程に大幅に改善されていることは公知の事実であつて、もはや同法の前記要請も極めて薄らいだものと言わざるを得ないし、また、賃借申出人は賃借していた接収地を離れて既に四〇年余を経過し、居住環境もそれなりに安定しているという状況下にあることをも考慮して判断するのが相当である。

したがつて、以下かかる観点から原告らの本件土地の賃借申出に対する被告の拒絶の正当事由の有無につき考える。

3 しかるときは、原告らは、いずれも被告の前身である農工銀行から賃借していた本件土地の接収後まもなく現住所地にそれぞれ転居して以来四〇年近くもの長期に亘り、原告松本において約三七坪、同大宮において約三四坪、また同南湖において約五〇坪の借地(現在は所有地)に一家の家族構成等に照らし左程遜色のない住宅を建築所有して生活の基盤を確立しており、より良好な住環境を確保しようという希望を持つているものの、今直ちに本件土地(その換地予定地)上に借地権を回復しなければならない客観的に差し迫つた必要性を認めがたい一方、被告は、接収解除後の本件土地を含む周辺土地について被告ら所有者の土地利用の意向を容れつつ立案実施される都市計画において、銀行支店開設用地として早晩その一部につき仮換地ひいて本換地として指定を受けることが予定されているのであつて、しかるときは、被告の自己使用の必要性は原告らのそれに優越するものとして、被告には右正当事由が肯定されるというべきである。

したがつて、本件土地について被告が原告らに対してなした賃借申出拒絶は接収不動産法三条四項の「正当事由」がある場合に当るというべきであり、原告らの賃借申出によつて原告らに借地権を取得すべき効果が生ずるものとは認められない。

七以上の次第で、原告らの本訴請求は理由がないからこれをいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九三条一項本文、八九条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官蘒原 孟 裁判官櫻井登美雄 裁判官小西義博)

別紙物件目録

一 横浜市中区本牧町四丁目所在

1 地番 八四〇番四

2 地目 宅地

3 地積 四三一・八三平方メートル

右の土地のうち一九八・三〇平方メートル

二 横浜市中区本牧町四丁目所在

1 地番 八四〇番四

2 地目 宅地

3 地積 四三一・八三平方メートル

右の土地のうち一六五・二五平方メートル

三(一) 横浜市中区本牧町四丁目所在

1 地番 八四〇番四

2 地目 宅地

3 地積 四三一・八三平方メートル

(二) 横浜市中区本牧町四丁目所在

1 地番 八三九番二

2 地目 宅地

3 地積 二三一・〇七平方メートル

(三) 横浜市中区本牧町四丁目所在

1 地番 八三九番三

2 地目 宅地

3 地積 一〇九・四二平方メートル

右三筆の土地の合計七七二・三二平方メートルのうち三四七・〇三平方メートル

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